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「虚仮の後思案」と似たり


by ta-niiyan
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自己TBーAMS年代測定

以前の記事へいただいたコメントへの自己TBです。

Archaさん、はじめまして。
えっと、僕も素人で、専門家ではないですが、以前に年代測定をかじっていた者として、書いてみます。適切な回答はできないと思いますので、ご了承ください。

まずは、Archaさんからのコメントを引用。
ココカラ--->
1 各資料のデータ配列を、型式順(考古による成果)に並べてイメージ的にあっていると言いたげでしたが、AMSの成果による順序にすると、めちゃくちゃになってます。AMSのデータ順に並べて説得するプレゼンをしなければならないのでは。
2 較正曲線の落ちる資料があることが、某I先生の指摘によりわかりましたが、それについてはノーコメントでした。それは南方遺跡の3期にも同じデータがあり、説明できないからでしょうか。
3 提示された資料から私が言えるとすれば、AMSによって、弥生土器は2つに分けることができそうだ、ということ(笑)。較正曲線の落ちる時期はあっているかもしれないが、資料数が少ないため、保留。
確実に言える上の事実以降の話は、統計的な可能性なのでは。
<---ココマデ

では、ここから、お返事。



1. 真のめちゃくちゃな順序は、形式順なのか、それともAMS年代順なのかは判別できません。
 しかし、AMSの結果から何か論を立てるのであれば、AMS年代順のデータを提示するのが自然であると考えます。同感です。

2. 「較正曲線の落ちる資料」とは、どういう意味でしょうか?較正曲線には、視覚上、急に落ち込んでいると表現できる部分が存在します。そして、曲線が急激に落ちる部分に該当する測定年代値は存在していました。南方遺跡のIII期のものは、ちょうどそれであると考えられます。グラフに見られるピークが較正曲線の急激に落ちるところでしょう。他にも、原の辻・須玖I式、下稗田・須玖I式、唐古鍵・大和I-2式、唐古鍵・大和II-2式などの、ピーク(ピョコンってでてるとこですね)が見られる試料は較正曲線の落ちる部分に測定年代が合致しているのだと考えられます。較正年代で2300-2400(C14B.P.)ぐらいの年代値を示すものですね。

3. 見た目上は、二時期に分けられてしまうでしょうが、それは統計上の罠であると考えます。(いやー、最初、僕も2つに見えてしまいました。今でもそうですがσ(^_^;)アセアセ...)
 測定値は連続していると思いますよ。どうしても、型式年代と比べればギャップがあるのは否めないと思いますが、要旨集に載っているグラフ程のものではないと感じます。問題は、このグラフから年代値を算出するところですね。過去の報告論文等にあたって、きっちりと理解しないと何ともいえません。

 それよりも、この測定から何を明らかにするのかを問わねばならないと思います。以前に比べれば、測定値やグラフ等の測定データが明示されて、年代値が一人歩きしなくなったのは好ましく思えます。しかし、まだ、測定者とデータ解釈者のギャップが大きい様に思えてなりません。弥生時代をカバーするには試料が絶対的に足りないと思いますし、まだまだ断片的なものにすぎないと考えます。土器だけではなく、供伴遺物や地層の年代も測定する必要があるし、他の年代測定法とのクロスチェックも必要でしょう。

 お答えになっているでしょうか?勉強不十分な為、間違っている箇所や不適切な部分もあるかもしれません。もう少し、調べてみます。まだ、INTCALへも足を運んでないので、立ち寄って調べてみます。

 そうそう、僕らがやってる探査って発掘すれば、探査結果の解釈の真偽が、それこそ一目瞭然なんですよね。いやー、探査結果を報告し、発掘される時は本当にドキドキします。否応にも測定データには気を使いますね。

うーん、自己の記事に対してトラックバックってできないのかなあ?
長いお返事が書けないな( ̄~ ̄;) ウーン
by Ta-niiyan | 2005-05-30 23:30 | 文化財